世界的トップアーティストたちによるロック夢の競演 !【通販限定DVDセット】ロックの殿堂
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ボブ・ディラン 武道館コンサート 1978年2月20日 [ボブ・ディラン]
ボブ・ディランが日本初来日公演を行ったのは1978年2月~3月にかけてです。
ようやく来日した超大物アーティストということで、大きな話題となりました。
東京・武道館で8公演、大阪で3公演、計11公演を行いました。
その歴史的初来日ツアーの初日の武道館(1978年2月20日)に行きました。
当時、自分は大学1年、19才でした。
当日を待ちわびていたのですが、風邪をひいてしまい、
39℃の発熱というフラフラの状態で武道館に向かいました。
アンラッキーでした!
友達と2人で行ったのですが、
彼が一緒にいてくれたので、なんとか最後まで見ることが出来ました。
コンサートが始まり、まずはディランのいでたちに驚きました。
全身真っ白の衣装。純白のスーツに白のハット。
えっ、これがあの「フォークの神様?」かと思いましたね。
コンサートの内容で驚いたことは2つです。
まず1つめは、アコースティックギターは1度も持たなかったことです。
始めから最後までディランはエレキギターを持っていました。
もちろん、それが当時のディランのスタイルだったんでしょうが、
「フォークの神様」としてのディランを見たかったファンも多いでしょう。
それで思い出した有名なエピソードがあります。
1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで、ディランがエレキギターで演奏。
当時のディランは、まさにフォークの神様的存在だったので、
観客から強烈なブーイングを受け、わずか3曲でディランはステージを降りました。
今にして思えば、常に変化し続けることで進化していったディランなので、
別に驚くことではないのかもしれません。
驚いたことの2つ目は、曲のアレンジです。
2度と同じアレンジで歌わないということは知っていました。
でも、しばらく注意して聞いてないと何の歌かわからないんです。
それがディランと言ってしまえばそれまでなんですが・・・。
バンドは8人編成、女性のコーラスが3人いました。
それ以降、一緒に行った友人はボブ・ディランにハマりました。
レコードを買いまくって、ディラン・マニアになりました。
自分はというと、代表的なアルバムを買う程度のファンのままです。
もちろん、偉大なアーティストだと思っています。
貴重な来日初公演のパンフレットです。
↓
その来日の際のライブアルバムです。
↓
ようやく来日した超大物アーティストということで、大きな話題となりました。
東京・武道館で8公演、大阪で3公演、計11公演を行いました。
その歴史的初来日ツアーの初日の武道館(1978年2月20日)に行きました。
当時、自分は大学1年、19才でした。
当日を待ちわびていたのですが、風邪をひいてしまい、
39℃の発熱というフラフラの状態で武道館に向かいました。
アンラッキーでした!
友達と2人で行ったのですが、
彼が一緒にいてくれたので、なんとか最後まで見ることが出来ました。
コンサートが始まり、まずはディランのいでたちに驚きました。
全身真っ白の衣装。純白のスーツに白のハット。
えっ、これがあの「フォークの神様?」かと思いましたね。
コンサートの内容で驚いたことは2つです。
まず1つめは、アコースティックギターは1度も持たなかったことです。
始めから最後までディランはエレキギターを持っていました。
もちろん、それが当時のディランのスタイルだったんでしょうが、
「フォークの神様」としてのディランを見たかったファンも多いでしょう。
それで思い出した有名なエピソードがあります。
1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで、ディランがエレキギターで演奏。
当時のディランは、まさにフォークの神様的存在だったので、
観客から強烈なブーイングを受け、わずか3曲でディランはステージを降りました。
今にして思えば、常に変化し続けることで進化していったディランなので、
別に驚くことではないのかもしれません。
驚いたことの2つ目は、曲のアレンジです。
2度と同じアレンジで歌わないということは知っていました。
でも、しばらく注意して聞いてないと何の歌かわからないんです。
それがディランと言ってしまえばそれまでなんですが・・・。
バンドは8人編成、女性のコーラスが3人いました。
それ以降、一緒に行った友人はボブ・ディランにハマりました。
レコードを買いまくって、ディラン・マニアになりました。
自分はというと、代表的なアルバムを買う程度のファンのままです。
もちろん、偉大なアーティストだと思っています。
貴重な来日初公演のパンフレットです。
↓
その来日の際のライブアルバムです。
↓
フリートウッドマック・武道館コンサート 1977年12月5日 [フリートウッド・マック]
フリートウッドマックの武道館コンサートに行ったのは1977年12月5日でした。
当時自分は大学1年、19才でした。
今までいろんなロックコンサートに行きましたが、 フリートウッドマックのコンサートがベスト1だと思っています。
何が良かったのかと言うと、レコードとライブのギャップのすごさです。
もちろん良い意味でのギャップです。
他のアーティストのコンサートももちろん素晴らしいものがたくさんありました。
でも、レコードとライブパフォーマンスのギャップに驚愕して、魅了された。
その観点で、フリートウッドマックがトップです。
レコードで聞くフリートウッドマックは、
洗練されたライトでポップなグループという印象でした。
ところが、コンサートはエキサイティングでパワフルで、
そのエネルギーがすさまじかったんです。
そして、グループの名前の通り、
実はドラムスのミック・フリートウッドとジョン・マクビー、
この二人が中心であることがよくわかりました。
(愛称・ビッグダディー)ミック・フリートウッドがバンドのリーダーであることも
コンサートを見ていれば判ります。
二人のパワフルなドラムスとベースの強固な土台の上に、
クリスティン・マクビー、リンジー・バッキンガム、スティービー・ニックス、
3人の個性あふれるふれるシンガーソングライターが自由に自分の歌世界を築きあげている。
それがフリートウッドマックというバンドなんです。
フリートウッドマックの魅力なんです。
スティービー・ニックスはまさに小悪魔のようで妖艶でした。
本当に独特なムードを持ったアーティストで、
ステージを軽やかに舞いながら歌う姿はサイコーでした。
何着か衣装替えをしましたが、その衣装も彼女のフィットして良かったです。
もう1人の女性・クリスティン・マクビーは、バンドのお母さん的な存在感でした。
スティービーのハスキーボイスとは対照的な、彼女のソフトな歌声も素敵でした。
コンサートのオープニングは、彼女の「Say you love me」でした。
リンジーの熱気を帯びたギターも良かったなあ。
ミック・フリートウッドがレコーディングスタジオで、
偶然、リンジーとスティービーのテープを聞いて感動したことがきっかけで、
リンジーとスティービーがバンドに加わることになりました。
その出会いがあって、後の世界的スーパーヒットアルバム「噂」が生まれ、
彼ら5人はロック界のトップグループになるのです。
自分にとってサイコーのロックコンサートは、
フリートウッドマックの武道館コンサートです!
その時のパンフレットです。
↓
応援、よろしくお願います。
↓
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本ブログを久しぶりで書いてみようと思ってふりかってみたら、
1年に1~2記事しか書いてないことに気づきました。
今年はがんがん記事入れしようと思っています。
当時自分は大学1年、19才でした。
今までいろんなロックコンサートに行きましたが、 フリートウッドマックのコンサートがベスト1だと思っています。
何が良かったのかと言うと、レコードとライブのギャップのすごさです。
もちろん良い意味でのギャップです。
他のアーティストのコンサートももちろん素晴らしいものがたくさんありました。
でも、レコードとライブパフォーマンスのギャップに驚愕して、魅了された。
その観点で、フリートウッドマックがトップです。
レコードで聞くフリートウッドマックは、
洗練されたライトでポップなグループという印象でした。
ところが、コンサートはエキサイティングでパワフルで、
そのエネルギーがすさまじかったんです。
そして、グループの名前の通り、
実はドラムスのミック・フリートウッドとジョン・マクビー、
この二人が中心であることがよくわかりました。
(愛称・ビッグダディー)ミック・フリートウッドがバンドのリーダーであることも
コンサートを見ていれば判ります。
二人のパワフルなドラムスとベースの強固な土台の上に、
クリスティン・マクビー、リンジー・バッキンガム、スティービー・ニックス、
3人の個性あふれるふれるシンガーソングライターが自由に自分の歌世界を築きあげている。
それがフリートウッドマックというバンドなんです。
フリートウッドマックの魅力なんです。
スティービー・ニックスはまさに小悪魔のようで妖艶でした。
本当に独特なムードを持ったアーティストで、
ステージを軽やかに舞いながら歌う姿はサイコーでした。
何着か衣装替えをしましたが、その衣装も彼女のフィットして良かったです。
もう1人の女性・クリスティン・マクビーは、バンドのお母さん的な存在感でした。
スティービーのハスキーボイスとは対照的な、彼女のソフトな歌声も素敵でした。
コンサートのオープニングは、彼女の「Say you love me」でした。
リンジーの熱気を帯びたギターも良かったなあ。
ミック・フリートウッドがレコーディングスタジオで、
偶然、リンジーとスティービーのテープを聞いて感動したことがきっかけで、
リンジーとスティービーがバンドに加わることになりました。
その出会いがあって、後の世界的スーパーヒットアルバム「噂」が生まれ、
彼ら5人はロック界のトップグループになるのです。
自分にとってサイコーのロックコンサートは、
フリートウッドマックの武道館コンサートです!
その時のパンフレットです。
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応援、よろしくお願います。
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本ブログを久しぶりで書いてみようと思ってふりかってみたら、
1年に1~2記事しか書いてないことに気づきました。
今年はがんがん記事入れしようと思っています。
ポール・マッカートニー 東京ドームコンサート [ポール・マッカートニー]
ポール・マッカートニー、
フレッシュアップジャパンツアー2018初日の東京ドームコンサートに行きました。
楽しかった~。
これが通算3回目のポール・マッカートニーのコンサート鑑賞となります。
座席から景色のはこんな感じです。
現在76才のポールのエネルギーはすごいとしか言いようがないです。
約2時間半のステージで、水を1回も飲まず、疲れた表情も見せずに演奏しました。
いろんな楽器を演奏しましたが、
やっぱりポールは世界最高峰のベースギタリストです!
ウィングスでの最高傑作アルバムは「バンドオンザラン」だと思いますが、
その中で自分の大好きな曲「1985」を演奏してくれたのが嬉しかったなあ。
残念だったのは、「ハローグッバイ」や
「ロングアンドワインディングロード」の演奏がなかったこと。
今回のオープニング曲は「ハードデイズナイト」でした。
ラストは「ヘイジュード」の大合唱。
いつも通りの「ヘイジュード」の盛り上げ方で、それが嬉しかった。
アンコールは、「イエスタデイ」に始まり、
「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツバンド」、
「へルタースケルター」、そして、
「アビイロード」のメドレーが最後でした。
2013年のコンサートはとんでもなく素晴らしいコンサートでしたが、
その時と比べると少し声量が落ちた気がします。
それでも、素晴らしいパフォーマンスで満足。
大きなエネルギーをもらいました。
ありがとう、ポール!!
また来てください!!
フレッシュアップジャパンツアー2018初日の東京ドームコンサートに行きました。
楽しかった~。
これが通算3回目のポール・マッカートニーのコンサート鑑賞となります。
座席から景色のはこんな感じです。
現在76才のポールのエネルギーはすごいとしか言いようがないです。
約2時間半のステージで、水を1回も飲まず、疲れた表情も見せずに演奏しました。
いろんな楽器を演奏しましたが、
やっぱりポールは世界最高峰のベースギタリストです!
ウィングスでの最高傑作アルバムは「バンドオンザラン」だと思いますが、
その中で自分の大好きな曲「1985」を演奏してくれたのが嬉しかったなあ。
残念だったのは、「ハローグッバイ」や
「ロングアンドワインディングロード」の演奏がなかったこと。
今回のオープニング曲は「ハードデイズナイト」でした。
ラストは「ヘイジュード」の大合唱。
いつも通りの「ヘイジュード」の盛り上げ方で、それが嬉しかった。
アンコールは、「イエスタデイ」に始まり、
「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツバンド」、
「へルタースケルター」、そして、
「アビイロード」のメドレーが最後でした。
2013年のコンサートはとんでもなく素晴らしいコンサートでしたが、
その時と比べると少し声量が落ちた気がします。
それでも、素晴らしいパフォーマンスで満足。
大きなエネルギーをもらいました。
ありがとう、ポール!!
また来てください!!
タグ:ポール・マッカートニー
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